桃の節句の由来


雑学コラムです。

■桃の節句は、平安時代から

桃の節句の起原は大変古く平安時代に遡ります。昔の日本には五つの節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)があり、当時この行事は貴族の間では、それぞれ季節の節目の身のけがれを祓う大切な行事でした。その中の一つ「上巳(じょうし)の節句」が後に「桃の節句」となります。

■上巳の節句が桃の節句へ

平安時代、上巳の節句の日に人々は野山に出て薬草を摘み、その薬草で体のけがれを祓って健康と厄除けを願いました。この行事が、後に宮中の紙の着せかえ人形で遊ぶ「ひいな遊び」と融合し、自分の災厄を代わりに引き受けさせた紙人形を川に流す「流し雛」へと発展してゆきます。
室町時代になるとこの節句は3月3日に定着し、やがて紙の雛ではなく豪華なお雛さまを飾って宮中で盛大にお祝いするようになりました。その行事が宮中から武家社会へと広がり、さらに裕福な商家や名主の家庭へと広がり、今の雛祭りの原型となっていきました。

■初節句のひな祭りは、身のけがれを祓う災厄除けの行事です。

ひな祭りは、高貴な生まれの女の子の厄除けと健康祈願のお祝いとしての「桃の節句」が、庶民の間にも定着して行ったお祝いです。ですから単なるお祭りではなく、お七夜やお宮参りと同じく女の赤ちゃんのすこやかな成長を願う行事、いうなればお雛さまは、赤ちゃんに降りかかろうとする災厄を、代わりに引き受けてくれる災厄除けの守り神のようなもの。気持ちの問題ですが、省略せずにきちんとお祝いしてあげてください。

●日本の五節句

人日(じんじつ)/陰暦正月七日「七草がゆ」
上巳(じょうし)/陰暦3月3日「桃の節句」
端午(たんご)/陰暦5月5日「端午の節句」
七夕(たなばた)/陰暦7月7日「七夕祭り」
重陽(ちょうよう) /陰暦9月9日「菊の節句」
9月9日の重陽の節句はなくなりましたが、他のお節句は現代まで伝わる行事

■桃(上巳)の節句・ひな祭りとは?

赤ちゃんが生まれて、初めて迎える節句を初節句といいます。三月三日のひな祭りがこの日にあたり、正式には上巳(じょうし)の節句といいます。それは、古来中国から伝わった三月の初めの巳(み)の日という意味からですが、ちょうど桃の花が咲くころでもあり、お節句を祝うのにふさわしいことから、今では桃の節句という美しい名で親しまれています。

■なぜ、雛人形を飾るのでしょうか?

平安時代の御人形(ひいな)遊びと、紙やワラで作った簡素な人形(ひとがた)に自分のやくや災いを移して海や川へ流した流し雛の行事が結びついたのが現在の「ひな祭り」です。雛人形を飾ることは、生まれた子供が健康で優しい女性に無事に育つようにとの家族の願いがこめられています。つまり、雛人形が身代わりになってくれてその子供に災いがふりかかりませんように、結婚など人生の幸福が得られますように、という家族の温かい思いが込められているのです。

■雛人形は、誰が買うのでしょうか?

古くは嫁入り道具のヒナ型として婚家へ贈ったという歴史もありますから、お嫁さんの実家から贈られることが多いようです。しかし現在では、可愛い子供のためという意味から、両家で折半で買うこともあります。仲人、親戚や友人は、ケースに入ったわらべ人形や御所人形、市松人形などを贈るのが一般的です。

■雛人形は、いつからいつまで飾るのでしょうか?

立春(二月四日)頃から二月中旬かけて、遅くても節句の一週間前までには飾りたいものです。季節の節目という節句の本来の意味を考えると、お節句がすんだら早めに、遅くとも三月中旬頃までの天気の良い乾燥している日にしまいたいものです。

■次女、三女が産まれたら?

雛人形はその子供の成長と幸福を祈るお人形で、赤ちゃんの身代わりとなって厄を受けているのですから、基本的には一人一飾りです神社のお守りを二人で分けることはしないのと同様に、母親の雛人形を譲り受けたり、姉妹兼用にすることは避けたいものです。お役目を果たされたお人形をお持ちの場合は、人形の供養祭が各地で行われておりますのでおさめるのもよろしいでしょう。

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